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2011年12月9日金曜日

CD15 フルニエ/J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲、4〜6

前回のブログに続き、フルニエによる
無伴奏チェロ組曲の4番〜6番のCDだ。

サウンドは抑えめの残響音で
チェロのボディーのサイズが想像できるような
ふくよかな音で、なおかつ高音質だ!

この組曲を聴き進めているうちに
チェロの弓を弾く瞬間の音に魅了されてきている。
楽器を弾くとき、弾きはじめの音はとても重要で
ある意味、弾き始めの音に奏者の個性が強く出るものだ。

フルニエの、時に繊細に、そして、時に強力な弾き始めは
まるで、多くの引き出しがある、大きなタンスのような演奏だ!

このCDの後半で、高音で弾くフレーズが出てくるが
まるで、バイオリンのような高音で
チェロで、ここまで幅広い音域の表現ができるのか!と
初めて知った。

チェロの魅力を、可能な限りに引き出す曲を作ったバッハも凄いが
その曲を、情緒豊かに弾き切るフルニエのテクニックと感性も
超の付く、一流の奏者だと改めて感じた
2枚組の「6っつの無伴奏チェロ組曲」である。

次回、CD16、フリッチャイ/ヴェルディ:レクイエム



2011年12月7日水曜日

CD14 フルニエ/J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲、1〜3

無伴奏チェロ組曲とは、どのような音楽か?と
このボックスセットを買った時から非常に興味があったCDだ。
基本的に単音で旋律を奏でるチェロだけで
組曲が成り立つのか?と。

そのように思いながら、CDを鳴らしてみた。

見事にチェロ1本だけで美しい旋律を奏でている!
そして、時々和音を入れながら
伴奏があるかのように
コード進行感を感じる旋律である。
さすが!バッハ!

曲を聴き進めてゆくと
だんだんチェロの技術的が必要なのではないか
と思うようなフレーズが出てくる。
そのような演奏でもフルニエの演奏は
常に「心」を感じる。

サウンドは抑えめの残響音で
チェロのボディーの大きさを感じられるような
ふくよかで、なおかつハッキリした高音質だ!

さらに聴き進めてゆくと
まるで、弦楽四重奏を聴いているかのような
非常に広がりのある演奏になってゆく。

私は、作曲をする際に
曲中にギターソロを入れるのだが
ギターソロのフレーズを考える時
単音のフレーズでも伴奏のコードを感じるような
フレーズ作りを心がけているが
このCDで、楽器のソロのフレーズのセンスを学んだ。

そして、かなわぬ夢なのだが
このCDを、いつか暖炉のある部屋の
木製の大きなイスに座り
パイプでタバコを吸いながら
聴きたいものだ!

次回、CD14、フルニエ/J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲、4〜6

2011年12月5日月曜日

CD13 フィッシャー=ディースカウ&ムーア/シューベルト:冬の旅

1曲目の歌の出だしを聴いて
現在のポピュラーソングに近いと感じた。
現代人の感性に、ダイレクトに飛び込んでくる歌曲だと思う。

以前、日本の歌謡曲の歴史の本を読んだ事があるが
その文中に、日本の歌謡曲はシューベルトに影響を受けているのでは
との見解があったが、その事をこのCDを聴いて実感した。

シューベルトの「冬の旅」が発表されたのは1827年。
その時、日本は江戸時代で
「冬の旅」の発表の前年の1826年に
シーボルトが江戸にピアノを持参している。
もしかしたら・・・
そのピアノで「冬の旅」を江戸時代の誰かが演奏したのかもしれない
と想像すると、なんだか歴史のロマンが膨らむのだ。

さて、このCDの感想だが
非常に良い!

ディースカウの感情移入が程よい歌唱と
ムーアの抑揚の効いたピアノ演奏が
同じ歩調で、同じ道を歩いてるかのような
どちらか一方が欠けても成り立たない
一心同体の演奏だ!


まるで、刺身と醤油のような関係だ。
刺身と醤油は、別々に味わったら
当然の事ながら、刺身は刺身の味、醤油は醤油の味のみだが
刺身を醤油に付けて食べると
お互いの味を極限まで引き立て合うように
歌とピアノが、お互いの演奏を引き立て合い
曲が持っている、心の僅かな振動をも
非常に素晴らしい演奏で表現している。

「冬の歌」を冬に聴けて良かった!
寒風の中、恋人にフラれて
この世界に、こんなに悲しい気持ちなのは
自分一人だけなのだ、という
初恋に破れた時のような
どこまでも澄んだ水の冷たさのような寂しさを
バーチャル体験できるからだ!

このCDを、外で歩きながら、寒さに震えて聴きたい。
そして、さらにこのCDの歌曲の心に迫ってみたい。

次回、CD14、フルニエ/J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲、1〜3